2025年 夏号
今年も梅雨が明け、本格的な暑い夏の季節がやってまいりました。気象台によると6月~8月の天候の見通しは、昨年以上に暑くなるとのことであります。年々気温が上昇しており、世界各国がこれまで同様に、熱源として化石燃料に頼っていることが温暖化に多分に影響しているものといえます。皆様方におかれましては、夏バテをされることなく、また熱中症にも気を付けられ、健康には十分に留意されまして、この時期を乗り切ってまいりましょう。
ところで、今回の所長だよりから今後数回にわたって、人間学の大家といわれている「中村天風師」を取り上げさせていただきます。
まず、天風師の生い立ちからご紹介しましょう。同師は明治維新から9年後の1876年に、現在の東京都北区王子、当時の東京府豊島郡王子村にお生まれになり、1968年に92歳で亡くなられています。本名は中村三郎といいます。東京の小学校を卒業すると、父親の郷里である九州柳川の伝習館に入校されますが、ここを放校され、日本でも有数の名門校である福岡の尋常中学校、修猷館に入学されました。その後、16歳の時に、日本史の教科書に出てくるほどの大人物で、政治結社の玄洋社を主宰する国家主義者の頭山満に預けられます。その頭山満の勧めもあって、軍事探偵(スパイ)になり縦横無尽の大活躍をされることになります。その頃の同師は「ただひたすら国のためにやっているのだと思うと、自分は一度もひるんだりすることなく、常に積極的に、全身全霊で任務に取り組んでいた」と、講演で何度となく述べてあったとのことであります。
ところが、天風師は日露戦争後の28歳の時に、さらに恐ろしい、本当の試練を天から与えられることになります。それは、その当時不治の病とされていた肺結核、その中でも最もひどい奔馬性肺結核に冒されていることが分かりました。日本一の医者である北里柴三郎が主治医でありましたが、もう駄目だと匙を投げられていたそうであります。不治の病が分かったときに、意外にも同師は自分が近い将来命を失うのではないかと不安にさいなまれて、それまでの尋常でない心の強さはあっという間に消えてしまい、恐怖に駆られ、うろたえてしまわれました。しかし同師は、思い直し、果敢に行動を開始し、世界へと出ていかれました。弱くなった心を何とか元の強さに戻そうというのがその目的でありました。
まず、アメリカ、それからヨーロッパへ。そして、フランスのマルセイユに着いたときには、日本を出てからすでに3年が過ぎていましたが、この不治の病を克服できず、どうせ死ぬのならば日本で死のうと決心され、帰国への旅を始められました。その旅の途中、エジプトのカイロに立ち寄られた時、奇跡が起きたのです。同師がホテルのレストランで出会った人は、ヨガの聖者、カリアッパ師でした。カリアッパ師は一目で同師が右肺を病んでいることを見抜かれたそうであります。その上で、「お前にはやり残したことがある」といい、「私について来なさい」と命じました。
そして、肺結核に冒された体でカリアッパ師についていき、インドとネパールの国境地帯のヒマラヤ山脈のある村に行かれます。大自然に囲まれた村は、ヨガの修行には理想的なところだったのです。同師はその村に3年近く滞在され、カリアッパ師に導かれ、厳しい修行を積み重ねられ、その結果、自身の健康を回復され、大きな悟りを開かれたわけであります。
その後、同師は日本に帰郷されると、銀行を始め、いくつかの会社を設立され、実業家として大成功を収めることになったのです。一時期は都内に家が何軒もあり、毎晩遊興にふけるといったような生活をされていたということであります。
同師がその贅沢な生活にも飽きてきた頃、奥さまから「知り合いの方に、あなたの苦労話などを話していただけませんか」と頼まれ、それでは、とお引き受けになったところ、大変評判が良かったとのことであります。そのことが一つのきっかけとなり、43歳の時、あっさりとビジネスの世界から足を洗って、上野公園や芝公園で辻説法を始められました。その辻説法すると決められた時、賛成されたのは恩師の頭山満と奥さまと母上だけだったそうであります。
その辻説法を手始めに、各種の講演活動において、「人間が幸福になるには何が大切か、それを自分のものにするには、どのような心がけが必要か」というようなことを面白く、かつ切々と説かれたのであります。その後政財界の有力者をはじめ数多くの人々の支持を受け、天風哲学として広く世間に認められるようになられました。
その天風哲学のエキス部分については、次回以降にご紹介させていただきます。
以上、今回はこれで筆をおかせていただきます。
(注)天風哲学の影響を受けた人々として、
東郷平八郎元帥、原敬氏、ロックフェラー3世、松下幸之助氏、浅野総一郎氏、稲盛和夫氏、双葉山定次(元横綱),広岡達朗氏、宇野千代氏、そして最近ではドジャースの大谷翔平選手・・・、戦前戦後を通し、各界の頂点を極めた幾多の人物が挙げられ、「生涯の師」としてその教えを受けている。